介護士休憩中

ある介護士の日常

過去をめぐる旅⑥ 

過去をめぐるシリーズ6回目…

脱介護職に失敗した私は

訪問介護員として働きはじめました(ーдー)

訪問介護員とはホームヘルパーの総称ですが

ここでは在宅ヘルパーってことで👌

 

ちなみにこのときは介護福祉士取れてました(^_^)

なので近隣ではかなり規模の大きい社会福祉法人に就職できました。就職と言っても週5のパートですが😅

それでも、条件は良くメリットは沢山ありました。

 

保険は引いてくれて

時給も良く(原付のガソリン代込みの為)

土日は休み(完全週休2日)

9:00~18:00勤務(日勤のみ)

内勤ヘルパーとして訪問の空き時間はサ責の手伝いをする仕事で在宅介護のしくみの勉強ができる。

訪問は1人なので気楽。

他人の家を覗けて結構楽しい。

 

在宅は初めてで不馴れな事も多かったけど

この時の経験後々色々な局面で役に立ちました👍

 

書類や制度の事や自分の成功失敗談を含めた

在宅ノウハウ全てが

その後サ高住でサ責をしたときも

バイトでヘルパーに復帰したときも

ケアマネをしたときも

生きてきたんですね✨

 

点が線でつながる感じですかね…。・(つд`。)・。

 

もちろんいいことばかりじゃなく

色々あってそこも一年で退職してしまうんですが

まあ…私の自業自得もあり

結構苦労もありました(´Д`;)

 

苦労した点と言えば…

 

事務仕事が未経験なので慣れるまで大変だった😅

→事務員として採用されないくらいですからね。重要な書類はサ責がやるのであんまり複雑な仕事はなかったんですが、電話対応、コピー機印刷機の使い方、テプラの打ち方、ワードエクセル、就活の時何やってたのってくらい初めはダメでしたね…😅まあ、3か月ぐらいで慣れましたけど。

 

方向音痴

→今みたいにスマホGoogleマップもまだ当たり前じゃなかったので住宅難地図片手にルートを走り込みました❗方向音痴は治りませんが道はめちゃくちゃ詳しくなりましたよ✨

 

運転が怖い

→当時、内勤ヘルパーは社員さんと違って持ち込みのバイクか自転車、(あれば車でも可能)を使わないといけない決まりでした。私は原付を使ってましたが、田舎とはいえ大阪…交通マナーは最悪でした(´Д`;)

 

天気、気候次第

→在宅経験者なら分かる人も多いはす❗雨降ると…めちゃくちゃしんどい(ーдー)猛暑も雪も外回りには堪えます( ;∀;)

逆に天気が良くて過ごしやすければ外って気持ちいいし、古墳の近くで偶然カワセミを見かけたこともありました。

 

苦手な家もある

→みんなが穏やかにヘルパーを受け入れてくれるわけじゃありませんでした。失敗に厳しい家から出禁くらったこともあるし、いきなり宗教の勧誘されたことも、ゴミ屋敷で腐ったかまぼこお土産に持たされた事もありました。仕事だけど、

利用者さんとヘルパーにも相性はあると思います。もちろん上手くいく家もありました。

 

人間関係がヤバい

→大きな、市内では古株で牛耳ってるっぽい法人だったので

ピラミッドのような組織図があり、あちこちにボスみたいな人がいました😱在宅なので特養みたいな、「今日の風呂介メンバー最悪ぅ😞⤵️⤵️」とかいう感じではなく、「事務所の空気悪っ😞⤵️⤵️」みたいな感じでしたね。ヘルパーステーションとケアマネ事務員が同じ部屋にあるんですが…その事が凶と出てましたね。1人ヤバいケアマネさんがいてターゲットにした人を何人も辞めさせてたとか😱かと言って一服しようとして立ち寄った喫煙所にもボス(デイのパートのオバハン)がいてめんどくさい(ーдー)私も空き時間に外の公園でタバコ吸ったりはしてました😅

 

なんか…良かった点より

苦労した点のほうが掘りさげられすぎですね😅

人間嫌な事ほど忘れないんですから仕方ないかぁ(ーдー)

 

で私この仕事も一年ぐらいで辞めるんですが

きっかけとなった事件についてはまた今度👋👋👋

 


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